彼方物語~ザイタク医を目指して~ 第3話 研修の始まりは友人の死から

手術室のあの寒さから、2ヶ月過ぎた6月のジメジメとした梅雨のある日。

それは、独特のジメジメとした研修医生活?に、嫌気が差し、なんで医者になったのか、よくわからなくなっていた頃だった。

笑吉は、もう朝だ、、、と独り言を言いながら、医局のロッカーに向かってフラフラ歩いていた。

ロッカーにつくと、待ってましたとばかりに先輩につかまった。

 

先輩指導医「お前、大森って知ってるか?」

笑吉 同級生の大森のこと?「はい」

先輩「死んだよ」

笑吉「え?・・・・・・」

先輩「死んでいるところを発見されたよ」

笑吉「どこでですか?」

先輩「彼の下宿で、冷たくなっているのを、口腔外科の連中が見つけたんや」

 

大森は口腔外科の研修医だった。

笑吉の入局した心臓外科か、それとも、大森の口腔外科で、

きっと死人が出る(その時過労死という言葉を知らなかった)と、

研修医仲間でよく陰口を叩いていたくらい過酷だった。

 

心臓外科は、朝6時半から血液検査を研修医が担当し、教授の回診の始まる7時半までに検査結果が出ていなければならない。

それは、教授が手術に入ってしまうと、手術後まで検査結果を知らないままになるからだ。

結果を見て手術前に対応しておく必要がある。対応が遅れると患者さんの生命に関わる。

研修医は、そのために必死になって早朝から採血する。早朝から患者さんのところを回るのだ。

そして、心臓手術が終わるのが、夜の8時位。その後患者さんのベッドサイドに貼り付いて、一段落するのが深夜2時。

口腔外科は、朝から医局カンファレンスがあり、外来やら、手術やら、研究の手伝いやらで、

終わる時間は、心臓外科と同じ深夜2時。研究室の先輩医師が帰るまでなかなか帰れない。

先輩の目が気になるから。

 

そんな中、陰口どおりに、彼は死んだ。

 

口腔外科の上司が言った。彼には、不整脈(心臓突然死の可能性のある不整脈)の持病があった、と。

日本の未来を支えるだろう研修医は、持病があったので、しょうがなく死んだ、と聞こえた。

冷たい『?』だった。

それを聞いた研修医の笑吉は言葉を失った。

大森の上司たちは、保身に走るばかりで、彼の死を悲しんでいるように見えなかった。

大事な研修医の死は、持病?過労?いじめ?これってどういう状況だ?上司たちは何を守ってるんだ?・・・・・。

研修医を取り巻く環境はとても冷酷だった。

若い研修医の死は、本人の持病で片付けられた、様にみえた。

 

心臓外科の医局に戻った時、先輩医師たちは奇異の目で笑吉を見た。

触らぬ神に祟りなし、腫れ物に触る、いろいろな良くない言葉が頭に浮かんだ。笑吉は腫れ物扱いされた。

 

「あんまり深入りするなよ」どの先輩医師が言ったかわからない声が聞こえた。

 

1年目研修医達の連絡係だった笑吉は、労働時間や過重労働に関するアンケート調査の取りまとめを、大森君の父親から依頼された。

彼の父親は弁護士だった。アンケートがまとまり、研修医の過重労働が浮き彫りになった。

その当時の給料は、毎月5万5千円。医療保険は国民健康保険で親の扶養。

勤務時間は心臓外科や口腔外科は1日20時間勤務、週休1日あるかないか。

これらのことが、当時の国会で取り上げられ、厚生労働大臣が大森君の名前を読み上げ、未来の医療を担う研修医教育の重要性を説き、そして、研修医制度が見直されることになった。

こうして、今の研修医制度スーパーローテションが始まることになったのだ。

 

その渦中にいた笑吉は、その後の研修生活がより冷たく過酷になっていったことは言うまでもない。

皆、腫れ物にでもさわるような状況になっていったのだった。

 

医師への第一歩が、仲間の死で始まり、

どこに向かっていけばいいのか、

路頭に迷った毎日であったことが昨日のことのようによみがえる。

 

つづく。