この世界は、なぜだろう、こんなに素晴らしいのは。感謝です。

ボクは、最近つくづく思う。

 

こんなにも優しくしてもらえるなんて。

こんなにも皆さんの挑戦が素晴らしいなんて。

 

涙が出そうな毎日だ。

もちろん、それは嬉し涙。

本当に感謝している。

 

 

振り返ってみると、

 

小学生の頃、

運動会でクラスをまとめられず、

担任に鉄拳をくらった、、、

その時、救ってくれたのは友だった。

 

中学生の頃、

毎日ラグビーの練習で、

無我夢中で頑張ってきたけど、

後輩とよく喧嘩になった。

それでも本気が通い合うと、

仲良くなったのが思い出される。

 

高校生の頃、ラグビー部が、

女の子との合コンのサボりで、

空中分解しそうな時、

結局救ってくれた友がいた。

その時も涙が出た。

 

大学生の頃、

いつの間にやら、

医者になっちゃったけど、

どの学年のときも、

勉強を最後の最後まで、

引き上げてくれる仲間がいた。

 

 

研修医の頃、

同級生が死んで路頭に迷いかけたけど、

道を間違わないよう教えてくれた親友がいた。

 

レジデントの頃、

進むべき医師像がわからなくなっていたけど、

素晴らしい総合診療の先輩医師に出逢えたことが、

実は、かなりの財産で。

 

リハビリを学んでいた頃は、

地域の保健師さん、ケアマネさん、ヘルパーさんが、

モミクチャになって、ボンボンのこの僕に、

地域とは、医療とは、介護とは、

連携とは、福祉とは、、、、を叩き込んでくれた。

もちろん尊敬する療法士さんには、

本気のリハビリをみせてもらった。

 

老健にいた頃は、

ヒエラルキーの上から下まで、

朝から晩まで、ガチンコで、

介護福祉士さんたちと、

本気で、ぶつかり、

この世界を教えてもらえた。

 

開業した頃は、

医療の世界の、残念な部分に、

挫けそうになったことはあったが、

やっぱり救ってくれたのは、仲間だった。

阪神ホームホスピスを考える会の重鎮たち。

彼らは、なぜか、救いの手を、

こんなボクに差し伸べてくれた。

 

 

クリニックが三田に移り、

母のレビーの電話魔ぶりに、

何度患者さんに迷惑をかけたことだろう。

そのことで、自分自身のこれからに迷いがでた時、

やっぱり救ってくれたのは、仲間であり、

患者さんだった翔吏くん。とそのご家族。

そして、前田美由紀さんと前田キャプテン。

 

 

今度は、時代が、苦しんでいる時、

タナカなんて、また、自分勝手に、

楽しいことに挑戦してるだけなんだけど、

それでも、多くの皆さんが、

こんなにも優しく、こんなにも熱く、

一緒に涙し、一緒に踏ん張り、

そして、一緒に歩いてくれている。

 

ボクは、なんて、幸せもんだろう。

 

このことは、一生忘れない。

ありがとうございます。

 

今こそ、ボクは、

前に出る時だと思っています。

 

感謝を胸に。熱く。同じ空の下。

コロナなんかに、ボクらは負けない。

 

 


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