秋になると思い出すことがある。
関西医大の推薦入試の受験のこと。
提出した小論文の題名は、
『one for all, all for one』
中高時代に没頭した、ラグビーのことを書いた。
推薦入試でのディベートの班から3人も同級生になった。
20人合格枠で、23番目の成績で滑り込んだのがタナカだと、
入学後、後々の生物の授業中に教授が教えてくれた。
あの日のことはまるで昨日のことのように思い出させる。
高校3年生の夏、母が
関西医大の推薦入試を受けたらどうか、
と提案してくれた。
そのこともまた余計に
今だからこそ感慨深く思い出す。
今年もまた、あの日の僕と同じように
医師(医療者)を目指す高校生ら若者がいるだろう。
今年の受験生は、コロナ禍で学びを進めてきた。
高校時代のほとんどをコロナとともに過ごした。
学びを進める時、きっと僕の知らない数々の困難があったことだろう。
そんな若者たちに尊敬の念を抱く。本当に心から応援している。
そして、近い将来、皆さんの力を患者さんのために発揮してほしい。
僕は、皆さんとご一緒できること、
すごくすごく楽しみにしている。
以前、医師を目指す高校生に書いた文章を再掲したい。
良かったら読んでほしい。
死に行く人を前に
私は医師になり20年になる。10年前からは終末期医療を専門とする開業医となった。
医師というと、『患者の病気を治す人』というイメージを持っている人はたくさんいるだろう。
しかし、終末期医療の医師は『治らない病気の患者と向き合う人』なのだ。
私は元来引っ込み思案な性格で、人と接することが苦手な少年だった。
何だか頼りないその少年は、周囲の人に助けられる毎日の中で、
「いつか人の役に立てるようになろう」と思い始めるのだ。
そして、祖母の病をきっかけに、医師になり患者を助けられる人になろうと決めたのだ。
医師になりたての頃は、何とか患者の病を治そうと奮闘していた。
つまり、多くの人が持つ医師のイメージである『患者の病気を治す人』になろうとしていたのだ。
しかし、医師を続けているとあることに気づくのである。-治らない病気がある。-ということだ。
そして、そんな患者の前では、医師である私は無力なのである。
ただ、本当に何もできないのだろうか。
誰にも来るであろう人生の終末期や病気の末期に、
患者が残りの時間を自分らしく過ごし、満足した最期を迎えることをサポートする。
これは、生きることを支えるという医師の仕事のひとつであると考え始め、
終末期医療を専門にすることにしたのだ。
診察時間は長い。よく患者の話を聞くためだ。昼夜問わず、患者やその家族からの電話がなる。
深夜などは正直つらい時もある。子供たちの行事に参加したくても参加できないことも多かった。
海外に旅行に行くことも簡単には出来なくなった。(学生時代にもっと旅をすれば良かったと後悔している。)
しかし、これらのこと以上に、患者から学ぶことがたくさんある。
あるがんの末期の患者を診ていた時だった。意識が混濁していくその患者の前で、
他の患者からの電話がなった。すると、その目の前にいる患者がこう言ったのだ。
「電話に出てあげて下さい。先生の助けが必要なのだから。」と。
もう数時間後に息をひきとるであろうそんな時に、自分以外の人を気遣えるなんて・・・
正直、私自身そんなことができるか自信はない。
医師である私は、その患者から「どう生きるか」を学んだ瞬間だった。
その患者が息をひきとる時、心の中で「ありがとうございました。」と私は何度も繰り返した。
ただ、立ち止まってはいられない。また、次の患者が待っているのだ。
このように、医師として、人としての学びが続くのだ。
学生の皆さん、医師を目指すには「僕は理数系に弱い」とか「私は英語が苦手だ」とか、
そんなことは気にしない。死に行く人の前では、数学の公式や英語の文法は必要ないのだ。
ただ1つ、学ぶ姿勢さえあれば道は開かれている。そして、その道の先に、
『医師』が見えたなら、ぜひ、私と医療の未来について語り合おう。
私は、君からも何かを学ぶ覚悟でいる。
Boys and Girls, Be ambitious!
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