ACP(人生会議)は軽くない。

訪問時、たまたまトイレに行っている時転倒された。

 

普段は、僕に内緒で人工呼吸器を外してトイレに行かれる。

本人・家族のご希望とは言え、リスクは相当ある。

 

何度となく人生会議を重ね、リスクは理解された上での今回の行動。

音がしたので介護者がトイレに確認に。ドアにもたれかかり転倒されていた。

介護者が、居室で待っている僕らに助けを求める。扉が開かない。

ギュウって体重をかけて扉を押すと5センチ程開いたので、中を覗く。

呼吸状態も悪化している。意識が落ち始めている。

 

さっきまで、『非開始と中止』の考えで、

今は望まぬ人工呼吸器を止めにするかどうかで、

本人・介護者から相談があった直後のことだった。

 

本人も介護者も、そのことに対する考えは日々揺れ動く。

まして、目の前でトイレの中で意識を失い、

このままでは命も危ぶまれる状況においては、

180度考えが変化する。当たり前だ。

 

自らの手?、いや、アクシデントで、非開始に戻すことが、突然で、

しかも、こんなにも苦しいなんて、、、思ってたけど思ってなかったご様子。

 

先生、どうしようどうしようとオロオロする介護者。

 

今日現場に居合わせたタナカらは、

トイレの扉の隙間からなんとか手を入れ、

ご本人の頭部を、入れた左手で力いっぱい持ち上げる。

扉をこじ開ける。すぐに気切チューブの空気の通り道を確認し、

一緒の保健師と本人を担いでトイレから脱出。救出救命。

 

ACPは揺れ動く。まして、その状況を目の当たりにしたら当然。

オロオロするだろう。気が動転してしまって、冷静ではおられない。

さっきまで下していた判断とは真逆であっても、、、、

後で、本人を苦しめ、介護者を苦しめるかもだけど、、、、

やっぱり、人工呼吸器から離れたことを今は後悔されたりする。

 

一方、人生会議なるもので以前に下した決定がもし、

その揺れ動く救命場面で、救命の迷いになるのであるならば、

やっぱり、ACPなどしてはいけない。と僕は思う。

 

だからね、ACPや人生会議なんか重いことやなく、

どう生きたいかをまずもっと大切に議論すべきだ。

だって、人はそんな救命場面に直面したなら、

きっときっと優しい救いの手を必死に差し伸べるものなんやから。

 

人工呼吸器のあるベッドに担いでなんとか戻っていただき、

人工呼吸器に繋ぎ、呼吸状態を確認する。どうにか、お顔にも生気が戻ってきた。

 

 

人工呼吸器、非開始と中止、どう思います?

ベッドに戻り生還したご本人にそう伺うと、

手を横に振って、さっき話していた真逆だった。

 

もう中止はコリゴリです。。。。

 

皆さん、どう思われますか?

コロコロお気持ちが変わること、だめですか?

 

今日は、その場にたまたま僕が居たから、

介護者の方がこう珍しく話された。。。。((笑))

「先生、いつもイロイロ文句ばっかでごめんなさい。でもね、、、

今日は不思議と仏様に見えるわ。ありがとうございます。救ってくれて。」

 

 

リビングウィルやACPは、毎日の暮らしの中にある。

片手間でできるものでは、決してない。そして、、、、

会議して書面に残せば仕上がるもんでもない。

大切なことは、やっぱり『形』ではなく『愛』だ。

ザイタクに関わるどの立場の人も必ず直面すると思う。

もっと真剣に取り組もう。甘くないよ、ザイタクは。

 

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