小学生4年生の時、家にベンツがやってきた。
主が居なくなった家の駐車場にそのベンツが
ひっそりと寂しく置いてある。
ちょうどその少し前に、親父の診療所が大阪の茨木で始まり、
40年間、その地で診療をやってきたが、先月とうとう幕を下ろした。
昭和・平成・令和のこの国の高度成長期から衰退期の中で、
ひっそりと静かに、誰に語り継がれることもなく閉院した。
僕は、歯科医一家の中にあって、歯科医を諦め医師になった。
手を動かすより、口を動かすのが好きだったから医師になった(笑)。
だからなのか、この歯科診療所の歴史を語れるものは、
結局、歯科医を諦めた僕しか居ないという皮肉。。。。
酒飲みで、タバコを吸いまくり、でも、博打は一切やらずの親父。
昔ながらの歯科医院で、不器用な親父は、それ以外は出来ないって事もあって、
歯科診療にだけ邁進した。診療所には技工室もあって、入れ歯の外注の時代に抗い、
いつも診療後には技工室にこもり、義歯を作成する後ろ姿に職人を感じ僕は憧れた。
今、親父に、正直言って、言いたいことはいっぱいある。
けど、親父の血が入ってる僕への戒めに、その言葉を胸に刻もう。
僕が死ぬ時、その言葉をもう一度、思い出そう。僕はどうだったか。
その言葉は、親父の名誉もあるからここでは秘密にしておこう。
ただ、いま、一つだけ思うのは、親父の技工室の後ろ姿のこと。
技工まで自分でやってしまう所、本当に尊敬しているし、
やっぱり僕も、そういうところを目指している。
酔っ払うと、親父は決まってこう言っていた。
なんぼのもんじゃい!なんぼのもんじゃい!
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