つづき①『介護離職』

次は母の話。

 

5年前くらいから、歩く時の姿勢が傾いていた。

こだわりが強く、精神的に不安定であった。

 

季節の変わり目や父親が飲み会で帰りが遅い時、

また、確定申告の季節になると、

一日に何度も何度も電話をかけてくる。

昔からの性格もあるのだが、本当にひどかった。

在宅患者さんを診ている訪問診療時でも、

のべつまくなしに電話をしてくる。

何度ザイタク医療の仕事における電話の重要性を話しても、

理解しようとしない。

自分本意な性格がますます自分本位になっていった。

 

1昨年前の8月初旬のある日、

両親の今後の生活について、仕事について、

大阪の実家まで、母と話をするためにでかけていった。

午前中に話をして、三田に仕事に戻れた途端、

父親から電話があった。

歯科診療所の玄関で母が転倒し、動けないとのこと。

戻ってきてくれと。。。。

 

ついさっき3時間ほど前に両親が僕に豪語していた話、

「何かあってもお前の世話にはならん!」

「自分たちでやっていくからほっといてくれ!」の言葉は、

どこへやら。

 

ザイタク医療をほっぽりだして、大阪に逆戻り。

 

大腿骨頸部骨折。さわってすぐわかった。

 

病院へ、救急搬送。レントゲン検査。

やっぱり骨折。そりゃそうだ。

医者だしね。わかりますよそりゃ。

入院決定。

 

親父は外へたばこを吸いに逃げ出し、出ていく。

 

身の回りのものの準備がいる。

歯ブラシやらなんやらをコンビニへ。

買いに行くの、俺? オレしかいないか。。。。。

オヤジ逃げたからな。。。

 

パンツと歯ブラシと歯磨き粉と、、、

何を買っていいかようわからん。。。

どうなることやら。

 

東北に住む弟には何度連絡しても音信不通。

親父が「あいつは勝手やから電話せんでええ」と。

いやいや、勝手なんは、オヤジもや。

 

自主自立(自分のことは自分でする)を声高に語っていた両親や弟は、

どこか遠くへ行ってしまったようだ。

 

介護離職、そりゃするわ、と心で叫びながら、

入院の準備等事態をなんとか落ち着かせ、

オヤジを実家に送り、

その後、夜中に、

三田でお看取りがある予感で、

いそいで戻る車中で、

今日起こっている出来事を思い返しながら、

何度も何度も、介護離職、そりゃするわ、と繰り返した。

 

まだ、何も始まってもいない介護生活。

在宅医療をやっている僕でも、

両親の介護問題がのしかかってきた時、

こんなに不安な気持ちになるなんて、

想像できていなかった。情けなくなった。

 

こうして介護離職とのタナカの戦いが始まったのだ。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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