元気がなくなった八月お盆の頃。お仏壇のお供えが少し豪華になっているのに気が付いた。お線香のにおいと新しいおまんじゅう。カツさんのお世話を一生懸命頑張っているお嫁さんがお供えしたようだ。お嫁さんはカツさんのお世話に畑仕事に毎日働きどうし。お嫁さんって言っても七○歳代。それでもカツさんのお部屋の床の間は、にわかに活気づいている印象であった。

「なあ、カツさん。ちょっと起きてご先祖さまにお経しよっか?」
いつも「また、来てや。」しかない二人の間に、変化があった。
 「数珠(じゅず)とってーな。」
 「どこや?」
 「お鈴(おりん)の横や。」
自分で体を起こすのもできなかったこの二週間のカツさんからは想像できない体の起こし方と、何よりも素晴らしい目の輝き。
 「お経あげようか?」
カツさんは大きくうなずいて
 「なみゅみゅみょーほうれんげーきょーはんにゃーはらみたーじー・・・。」
十分くらいベッドに座って一生懸命お経をあげた。みんなで大きな声であげた。
お経をあげ終わって、また、「また、来てや。」

今日は日頃の医者の自己満足的な会話ではなく、さわやかな気持ちだった。帰り道お経の余韻に浸りながらカツさんのあの真剣なまなざしが思い返された。彼女の在宅生活。その生活における大切なこととは、これらのすべての雰囲気だったのだろうと思う。

その後、カツさんは素晴らしかった。理学療法士たちの訪問のたびに、天照大御神、お仏壇、夫の写真、彼らの前に椅子を置き、歩行訓練をしながら椅子まで歩き、お経の大合唱。もうあと一か月と思いお迎えをお願いしているのではなく、まだまだこちらでご先祖の供養をされておられるご様子。「先生まだお迎えはこないでよい。やることあるし。よかったわ~。」と。

「また、来てや。」「また、来るで。」
あと何回、この会話ができるか楽しみである。