【余談】タナカの場合。

 今の研修医制度は平成16年から始まっている。平成10年に、某医科大学の研修医が過労死したため、平成11年から医局主体の研修システムの労働基準にメスをいれるために作制、準備され、平成16年新医師臨床研修制度(診療に従事しようとする医師は、2年以上の臨床研修を受けなければならない(必修化)とされた。)が始まった。

 それは、一般的にはスーパーローテーションと言う。

 大きな目的は、専門分野のみの診療しかできない医師を育てるのではなく、総合診療・家庭医療ができる医師を育てることにあった。医師免許を取得後、医局に入局するのではなく、いろいろな診療科を回り、その後専門分野を決め進路を決めていく。

 タナカの場合は、新医師臨床研修制度が始まる前の研修であった。そのため、まず、胸部心臓血管外科教室に入局。そこで、2年間で4つの科・6ヶ月毎の研修をする。入局したのが4人の研修医であったため、順番を決めてまわった。まだ基本的には見習いであったが、サッカーのレンタル移籍みたいな感じで、その科その科で役割は違っていた。4つの診療科は、心臓外科・呼吸器外科・麻酔科・消化器外科。心臓外科では、採血係。呼吸器外科では、診療情報提供書書き係とレントゲン写真を運ぶ係(まだ、電子カルテ化されていない時代だったため)麻酔科では、戦力として使ってもらい充実した研修。手術の麻酔も、軽症な症例は、大部分を一人でさせてもらえた。消化器外科では、患者さんを実際に一人で診察したり、主治医になったりして(もちろん先輩医師への報告は必ずあったのだが)、医者になった気分を味わえた。腹部手術の執刀医も数回任された。

 タナカにとってこの2年間は、技術的に学び成長できた時期ではある。一方で、精神的には学ぶより壊れていくような辛い2年でもあった。医師という職業がどういったものであるのか、医の心は、どうあるべきか、苦しんで苦しんで答えをだせない2年であった。悔しさに震えて過ごした時間も多くあった。この2年間があったから、今があるとも言えるのだが・・・。簡単には、素晴らしかった2年とは言い難い部分もある。

 一番印象に残っていることは、外科の講師が、若い女性がん患者さんの診察においての不備(この不備は、涙が出るほど、本当にひどいものであった。)を、研修医のタナカに押し付けてきたこと、そして、その患者さんの裁判が起こった際には、裁判準備の協力を言われたが、該当期間の診察をしていないことを理由に断ると、ある外科の別の講師が、医師や外科医の世界では、先輩医師の依頼を断っていては、生きていけないことを伝えられ、これからの医師の人生は無いと脅されたこと、である。けっして、このような研修で、良い医師は育たないと思う。幸いにして、研修医2年の後、次の2年間(現在は専攻医?と言うようになっている)を、別の病院の総合診療医のもとで、研修を続けるチャンスを得たので、今こうして在宅医ができるようになった。研修という大変さとは別に、詳しく書けない辛いことが他にもたくさんあったように思う。

 どの時代の研修においても、患者さんを第一に考えた医療の研修であるべきだ。教授や助教授や医局の保身のための研修であってはならない。研修医の過労死問題・医局制度問題といった痛ましい出来事・歴史の上に存在する今の新医師臨床研修制度。タナカは今のスーパーローテーションは素晴らしいと思っている。なぜなら、いろいろな診療科を回り自分自身で道を開くことができる研修であり、また、研修医の真の自由が保証されているからだ。タナカの経験したスーパーローテション前の制度は、実際に奴隷制度のようであり、身分の保証がなかった。

 今、新たに新専門医制度なるものが、議論されているが、歴史は繰り返すとよく言われる。新医師臨床研修制度が始まる前のタナカの身の上に起きた辛い研修以外の部分・身分の保証すらない実態、このような研修期間の再来は、決してあってはならないと心から願っている。