医者になって数年すぎ、
そう研修医を終えた頃だったかな、
ある教室にお世話になっていた。
その医学部教授に言われた言葉が、
今の僕の活動を支えている。
彼は医学部の教授の中で、
数少ない医者ではない教授だった。
スペインでの学会にカバン持ちで、ついていった。
人生はじめてのヨーロッパ。
浮足立つ僕がいた。
マドリードの場末の飲み屋で、
サングリアをガバガバ飲んだあと、
意識が飛びそうになってる僕と、
浮足立つ僕の行動をそろそろ許せない教授との、
二人っきりの飲み会。
周りはスペインの美男美女ばかり。
チビの教授とデブの僕。
教授の人生を左右する大説教が始まった。
医者と患者は、
絶対に対等にはなれない。
それはどこまでいっても、
社会では医者が優位にいるからだ。
教授の僕も、君が医者であるが故に、
こうして僕より優位だ。
現に、こうして注文した酒も君のほうが、
高級の酒を飲んでいる。
(サングリアはあんまり変わらんようにも思ったけど、、、)
医者はどこまでいっても医者だ。
『先生』と呼ばれる意味を今こそ考えろ。
もし、仮に、医者が立場を下げても
患者が下がってしまう。
そんな日本社会であることを忘れるな。
マドリードの酒場で日本社会のことを思い浮かべた、、、
じゃあ、どうすればいいのですか、教授?
僕は友人のように家族のように、
患者さんの診療をしたいのですが、、、。
診療をする。医療を施す。
施す側と施される側。
その立場の違いをまずしっかりと認識しなさい。
そして、その立場の違いを、
しっかりと認識した後、
日々努力しなさい。
友人や家族のように振る舞うことで、
ごまかせることはできても、
決して、人は君に本音を話すことはない。
思い上がるな。決して思い上がるな。
人の心はそんな簡単なものではない。
立場の違いを認識し、
君が優位であることを本当の意味で認めた上で、
患者さんの心の声に耳を傾ける努力をしなさい。
医者を続けている間、君はこの努力を、
一生続けなければならない。
立場の違いを、決して忘れてはいけない。
もうサングリアを何度おかわりしたか覚えていなかった。
どうやってホテルまで帰ったかも、覚えていない。
マドリードの場末の飲み屋で、
悔し涙を流していたことだけ思い出す。
こんな風に教えられた。
人生を左右した場末の飲み屋での大説教。
医者は、
患者さんと、共に、
友人のように、家族のように、
人生を歩むことは不可能なのだろうか?
医療はそんなに傍に居れないのだろうか?
医療をもっと人生の傍に
医療をもっと最期の傍に
医療をもっと皆さんのもとに
僕は今もこんな風に夢を見ている。
友人の母の急変の報に触れ、
なにも手につかない僕がふと、
マドリードのサングリアを思い出して、
こんなヘンテコリンな文章を書いてしまった。
お付き合いいただきありがとうございます。
この心の奥にある気持ち、内緒ですよ。
皆さんの胸の中に、僕の夢、留めておいてください。
僕は、この挑戦を続けます。
玉手箱研究会ライブ配信まで、あと46日。
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