タナカの個人の話。
なので、今日は読み流してほしい。
父方の祖父は、鳥取倉吉で歯医者。
親父は、大阪茨木で歯医者。
伯父は、京都長岡京で歯医者。
弟は、宮城仙台で歯医者。
みんな開業医で臨床家。
誰一人、跡を継ぐことなく、
それぞれの地域に根を生やす。
タナカは、彼らと違い、
手より口を動かす事が、好きだったので、医者になった。
どの歯医者も、スタンスは様々だったが、
あのシーンのときは、一致団結に見えた。
歯医者ええなあ~と思ったそんな想い出のシーンがある。
もう25年くらい前の話。
祖父が、85歳位で、いよいよだった頃。
誤嚥性肺炎で老人病院入院中。
このまま、その時を待つような入院をしていた。
たぶん、高カロリー輸液で、たぶん、絶食。
医学生だったタナカ以外の3人が、
親父、伯父、弟(歯学生?)が、
祖父の義歯を手に取り、
祖父の口をのぞき込み、
3人であ~だのこ~だの、話していた。
口からの食事を、諦めていなかった様に思う。
医学生のタナカは蚊帳の外。
なんとも言えない心境だった。
医者は、食事のこと、関係ないのか?!どうなのか?!
あれから、四半世紀が過ぎ、今に至る。
あのシーン、最後まで食をあきらめない歯科医たち。
医者になったタナカだって、あきらめない。
母方の祖母のイチゴ食事介助のことがあってから、
摂食嚥下や、リハビリ(生活再建)や、介護を学んできた。
そして、今も、『食べるということ』の学びと経験を続けている。
あのシーン、歯科医と医師がいても良かったんじゃないか。
あのシーン、医師だけ、とか、歯科医だけ、とかじゃ、駄目じゃないか。
そう思って、過ごしてきたから、
歯科の、青垣の足立先生や出石の砂治先生、が、
タナカをかわいがってくれた。
そして、今は、奈良の北村先生
(まだFACEBOOKでしかお付き合いできていないのだが)が、
タナカをかわいがってくれている。
と、勝手に思っている。
歯科と医科が、本当の意味で、
本気で、つながれたなら、
きっと、もっと、患者さんの人生は、
最期の時まで、楽しいものになると信じている。
ここ三田では、まだまだつながれていない。
タナカの発信が、まだまだ足りないからだと思っている。
そう言えば、30年前の今頃、
祖父に医科大学合格を伝えたら、
こんなこと言ってたな。
章太郎、女子医専行くんやな~、
大阪でおじいちゃんが通ってた歯医者の学校の横が、
お前の行く大阪女子医専や。牧野の学校やで。
随分昔の話やけど、ワシと同じところで学ぶんやな~。
がんばれよ。
なぜだか、歯科とは縁の深さを感じるタナカでした。
医科歯科連携を夢物語で絶対に終わらせたくありません。
歯科医の先生方、こんなタナカですが、
これからもよろしくお願いします!
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