今日は、祖父母のお墓掃除をしてきた。
ここに来て、祖父母と会話する。
悩みがスーッて、整理されていく。
今のタナカを形成する大好きだった祖父母、
病院で最期を迎えた祖父と、
家で最期を迎えた祖母が眠っている。
透析をしながら、最後まで透析となった祖父の最期は、
呼吸停止した後に、病院に会いに行った。
意識はもうないから、家で呼吸停止するまで待ってて、
どうせ、わからないだろうと、
どこからともなく言葉があったことを思い出した。
なぜか、この死が、医者4年目のタナカには普通に見えた。
白梅を見たり、苺を食べたり、孫にオムツを変えてもらいながら、
息が止まるまさにその瞬間まで、家族と過ごした。
意識はないが、お家であることを感じているかのような
最期だったことが今でも思い出される。
なぜか、この死が、医者4年目のタナカには非日常に見えた。
今のタナカは、普通が非日常で、非日常が普通となった。
この20年、いろいろなことを学んだ。
よく考えたら、、20年もかかった。
死を考えるとき、やはり、コレほどの年月を要することを考えると、
死の文化の世代間交流は、絶対に必要不可欠であると、感じている。
20年もかけていては、この国は滅びてしまう。
今日のお墓掃除は、その事を考える良い機会となった。
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