ADやACPの場面で守るべきは、会議ではなくリビングウィルだ。

ある救命救急医が、深夜、往診をした。

呼吸状態の変化あり。往診を依頼された。

 

そこには、三歳の脳腫瘍の女の子。

 

 

彼女はとても可愛くチャーミング。

そして、ユーモアたっぷり。

更に頭のいいとこまでパーフェクト。

そんな風な話は聞いていたのだが、実は、

その救命救急医は、その子に会うのは2回目だった。

 

その救命救急医は、生命も救うが、人生も救う。

そんな使命に突き動かされる情熱的なドクターだ。

 

そんな彼が、彼女を見た瞬間、何を感じたか。

 

ここからは僕の想像だ。

いろいろな意見は百も承知で、

あえてここに記録しておく。

 

 

 

あ、、、、あと数時間の命だ。

病院に搬送すると、そのまま、

そこで命が終わる可能性が高い。

どちらにせよ、命の終わりはもうそこだ。

では、彼女や彼女の家族の人生を救おう。

そこに対する責任を背負う覚悟がいる。

どうだ、、、?背負えるか、、、?

いや、救命救急医ならば、

そして、医者であるならば、

背負わなければならない。

内科医だとか、小児科医だとか、

今は、そんなことは関係ない。

会議をしている暇はあるか?いや、無い。

プロセスは言い訳であり、結果に対する責任からの逃げ。

じゃあ、どう応えよう?!

普段はスピードとタイミングを信条とする。

やはり、ここでその時を待つ選択こそが、人生を救う。

その確信を瞬時に持てることが俺の強み。自画自賛。

 

この思考は、ざっと、3分。

 

彼は、彼女と彼女のご家族に、

ここで過ごすことを促し、その場を離れる。

 

彼女と彼女のご家族は、その後、穏やかに川の字で寝て、

そして、朝日が登った後、その時をご家族だけで迎えた。

 

 

今もなお、彼女と彼女のご家族は、

その決断をしてくれた救命救急医に、

命の恩人だと言って感謝している。

彼は彼女らの人生を救ったのだ。

 

 

もう皆さんおわかりでしょう。

ADやACPは、会議すべきことではない。

会議という名の、医者の責任逃れに、僕には見える。

 

普段から、みんなで大切にすべきは、リビングウィル。

多くの市民や患者と話し考えるべきは、リビングウィル。

会議はもう止め。言い訳ももう止め。そんなふうに思った。

 

 

 

先程の救命救急医の瞬時の覚悟に

心からリスペクトするとともに、

医者とはそういう仕事であることを改めて教えられた。

あ、そういえば彼が飲み屋で着てたTシャツの胸には

『自画自賛』の文字。カッコよかった((笑))

 

 

 

そんな素晴らしい学びの場を与えていただいた

日ホス奈良大会の運営の皆様に、心より感謝申し上げます。

本当に大盛会でした。おめでとうございます。

 

それから、これはどうしても付け加えておきたい。

 

彼女と彼女のご家族に、この場で、感謝申し上げます。

大切な宝物のような物語を僕らに話し共有いただけたこと、

本当に本当にありがとうございました。

この学びを多くの患者さんにご恩返しとして

きっときっと還元したいと思います。

この学びで僕はさらに覚悟ができました。

 

 

空港までの帰りの車。

ラジオからこの曲が流れていた。

良かったら聴いてください。

 

 

 

毎日読んでいただき感謝申し上げます。

良かったら、クリックもよろしくお願いします。

 

 

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ
にほんブログ村

 

 


人気ブログランキング

 

 

たなかホームケアクリニックYOUTUBEチャンネル登録よろしくお願いします。