母の最期も、父の最期も、最期を知れるが、
どうやったって、最後の暮らしを知れない。
COOPさんの宅配のお兄ちゃんのお話や、
実家の庭の雑草や駐車場にある自転車や車、
近所で小学生の時の同級生の親御さんの表情、
歯科診療所の寂れた看板と固く閉じたシャッター、
除籍と書いてある戸籍謄本や生命保険の手続き。。。
予期悲嘆の出来ない別れが
こんなにも苦しいものなんだと、
今、実体験を通して学んでいる。
避けることの出来ない悲しみは、
人生においては、100%ある。
人はそれをどう乗り越えてきたのかというと、
やはり、予期悲嘆が大切だと思う。
この予期悲嘆において、ザイタク医療は欠かせない。
大往生したければザイタク医療に関わろう!
これを僕の残りのザイタク人生のテーマにしよう。
Twitterのスペースで、尊厳死協会関西支部の配信、
『「死なない人はいない」尊厳死、リビングウイルの前に。』
を港谷理事と準備している。ぜひぜひ聴いて欲しい。
死体検案書から両親の人生の最後の時間を独り振り返り
彷徨い歩く4月の桜の季節。何故かこんな歌が浮かんだ。
良かったら聴いてください。
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