俺はこの街『Sanda』が好きになっていた。

今日はヤル気がなんだかなくて((笑))、

相談所に置いてあるベッドで、横になって、

ボーっとしながらダラダラして過ごした。

 

 

ここ三田で、在宅医療に関わってもう12年。

開業は、2009年で丹波篠山市だった。

開業して3年、三田市民病院との関係が深まり、

何の縁もなかった三田市に骨を埋めようと、

決意して、篠山のクリニックを閉院し、

ここ三田市で、2度目の開院をし、今に至る。

 

 

 

大阪の島本町水無瀬で幼少期を過ごした。

サントリーのウイスキー「山崎」工場横の

大山崎幼稚園に通園し、島本第3・4小学校に入学。

父が総持寺で歯科医院を開業したタイミングで、

茨木市に引っ越す。小学校4年生の頃だった。

中学高校は、当時は男子校の私立高槻中学・高校に。

で、母が高校3年の時に関西医大の推薦入試のこと、

紹介してくれて、当時は確か、滋賀医大希望?で、

最初母に反抗したけど、リビングにあったチラシで、

足を滑らせて、足首捻挫して、すごくすごく痛くて、

ハッて目が覚めて、母の言う通りにします!ってしたら、

関西医大に入学できて、教養学舎枚方牧野に通い始めた。

そして専門学舎は、守口市。千林・滝井とかなりの下町。

研修医は大学病院のあった滝井で暮らし、その後、

ちょっとバーンアウトしかけて大学院生に。また牧野に。

大学院生の頃のバイトは、京都宇治・六地蔵。たまに美山。

その頃、祖父母の看取りと、結婚があって、宝塚へ。

そして、リハビリと出逢い、関西で当時、タナカ評価で、

関西一いや日本一のリハビリがあった篠山リハに辿り着く。

 

 

この後は、よく話に出てくる療養病床のリハや

脳卒中地域連携構築を目指した三田ベッドプラン、

そして、老健でのフロア訓練などのチャレンジ後、

篠山市(現丹波篠山市)で、2009年開業となる。

 

ボーっとしながら、自分史を振り返っていた。

 

 

8月末虹カフェ🌈(認知症オンラインカフェ)で、

話す機会を頂いた。少しこの歴史も話せたらと思う。

少しずつ準備しとこう。今日はホントダラダラでした。

 

 

『Tokyo』やなくて俺は『Sanda』。

良かったら聴いてください。

 

 

 

 

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