リハビリテーションの世界は、人の『暮らし』のために、常にある。はず。
終末期リハビリを生業にしようと思ったのは、
医者になって、初めて、身内を看取った時。
心臓リハビリテーションの患者さん達の生き生きとした挑戦を見て、
リハビリテーションを学ぼうとしたのだが、それはどこにもなくって、
将来の夢を追いかける場所を探していた大学院2年。祖母が終末期になった。
肺がん術後再発、そして、脳転移が見つかり、年齢から放射線治療のみとなった。
宝塚市立病院の呼吸器外科病棟に入院し、放射線治療を受けていた時、
「私はもうここに居てはいけない。章ちゃん、家に連れて帰って頂戴。」
大好きな祖母が自らお家に帰ると病室で言った日を覚えている。
大学院教授に、祖母の家に泊まり込みで介護をして学んでくるよう、
言っていただき、そこから、宝塚祖父母宅に泊まり込み介護が始まった。
食事介助や排泄介助、更衣、洗髪洗顔、ありとあらゆる場面での祖母の介護は、
下がりゆく祖母の身体機能や精神状態を理解できないままの稚拙な介護だった。
それでも、僕の大切な祖母は白梅を見ながら、
「章ちゃん、綺麗ね、ありがとう。」って。
その数日後祖母は自宅で母と見守る中旅立った。
今、多くの患者さんの『暮らし』に教えていただき、
あの介護すべてが終末期リハビリだったんだと知った。
リハビリテーションの世界は、人の『暮らし』のために、常にある。
『暮らし』を支えるリハビリ関連医療者は、なぜか、指示を待つ。
答えは指示の中にはない。患者さんの暮らしの中にこそ、あると思う。
悲しみが呼んでる。終末期リハビリ。
今日は、デリコの『Your song』。
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