透析患者だった90歳の祖父は、病院で最期を迎えた。
人生の最終日前日、結婚前の妻を紹介する為、
宝塚の独居の祖父宅に、妻を連れて行った時、
祖父は腹部の痛みと共に大量の下血があった。
前日は透析日で、その日の透析の必要性は、低かった。
下血に動転した僕は、祖父を市立宝塚病院に救急搬送した。
救急外来で、血液検査した結果は、腎機能の更なる低下。
今思えば、祖父の最期はもうそこに迫っていたのだろう。
とりあえず、もう一度透析回しましょうか?
という救急医の提案に従って、母と相談し、
祖父の、最期となった透析をお願いした。
あの時は気が付かなかったけど、まあまあ、
人工透析神話にどっぷりの僕だった。。。
案の定、透析は、半分くらいしか回せず、血圧低下。終末期鎮静開始。
その日の早朝、病院の病室で、泊まった母に見守られ、息を引き取った。
祖父の人工透析の導入は、正しかったのかどうか、
止め時があったのではないか、最期の透析の是非、
これらを全部、いろいろ、今も考える。
昨日、80台男性で、腎不全終末期の認知症の方が、
ご自宅で、愛する妻の見守る中、旅立たれた。
人生の最終段階において、人工透析という選択肢はあったのだが、
愛妻の居る場所という家に対する強いこだわりがあったこと、
医者という人間は信用ならんと言い続けておられたこと、
これらがあって、どのタイミングでも、人工透析の選択は無かった。
そんな彼の最期は、こんな感じだった。
先生、主人、なんか静かになっちゃいました。
それでも、じっと見てると、寝てるみたいやし、
死んでるか生きてるか、よおわからんのです。
夜になってしまって、申し訳ないんですけど、
先生、ちょこっと見に来てもらえませんか?
お家について、診察。まだかすかに心臓の音。ホントに、穏やかな寝顔。
傍に飾ってる菩薩様の大きな絵。その菩薩様のお傍に行けた様な穏やかな寝顔。
彼は、高齢で、認知症があったけど、
腎機能は人工透析以外に救いは無かったけど、
愛する奥さんには少し煙たがられてたけど、
清濁併せ吞んで、足掻いて、足掻いて、
最期の最後まで、患者の権利が認められ、
自分自身の人生を全うできた様に思う。
延命治療の人工透析。導入も非導入も、非開始と中止も、その後の暮らしも、
どの場面でも、その方々に、患者の権利があることを、心から願います。
昨年、三田北神心不全ネットワーク構築に尽力しましたが、僕らは、
今年新たに、三田北神腎不全ネットワーク構築に取り掛かっています。
皆様ぜひぜひご関心を寄せていただければ幸いです。
旅立たれたお父さん、ホント、奥さんのことが好きだったんだよな。
奥さんは私はそうでもないって、仰ってたけど、ま、それでも、
お葬式くらいは見栄え良く、してあげとかなくっちゃね、先生。って。
不思議なほど、穏やかなお看取りだった。もちろん、、、
緩和ケアの一番のお薬は『奥さん』だった。ことは付け加えておく。
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