今この地域で、腎不全ネットワークの準備をしている。
こんな経験をした。
透析の止め時が、迫っていた。
血圧も低くなり、透析を回せない日が、
実際に増えてきた。除水だけの透析。
老廃物をろ過していないので、
腎不全末期症状が出始めた。
意識レベルも変動するようになった。
会話がかみ合わない日も増えてきて、
下肢血流障害によるトラブル、つまり、
あちこちの皮膚が破れ潰瘍が形成されてきた。
透析が順調だった時のはっきりした言葉も、
透析の止め時が近づくにつれ、変動した。
本人は透析をもうやめにして死にたい。
やっぱり透析をしないと苦しい気がする。
揺れ動く。家族に決めて欲しいとかの言葉も。
ご家族も何としてでも透析をして欲しい。
本人が苦しむことは止めて欲しい。
除水だけでもすれば本人は楽なんでしょう?
揺れ動く。本人の希望とは乖離する言葉も。
そうなると、
ご本人の意思かどうかわからない中、
ご家族の言葉に依存する日も増えてくる。
透析の場合も、心不全の場合も、
脳血管障害の場合も、がん治療中の場合も、
骨折手術後等で認知機能低下した場合も、
どんな病気においても、言葉が変動する。
その時、
患者の権利法のないこの国の医療者の心境は、
患者より家族の言葉が優位にすることが多い。
その心境の医療者の病状説明は、
患者さんご本人の人権を守る以上に、
ご家族の気持ちを優先したくなる。
この現実を知って欲しい。
患者自身の人生より、もしかしたら、
家族の意向が上位なのかもしれない。
人生最終段階に入った患者さんご本人の、
真の気持ちに沿った治療やかかわりが、
そこにいつも普通にあるよう、僕は願います。
そう言えば、、、この時も、
本人より社会だった気もする。
良かったら聴いてください。
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