関西医大胸部心臓血管外科時代の、
大先輩2人が飲みに誘ってくれて、
急いで仕事を片付け今から大阪へ。

もうあれから27年が過ぎた。
どうにかこうにか医者になって、
今、患者さんや市民さんのおかげで、
医者の仕事を続けることが出来ている。
本当に有り難いことだ。
僕が医者になった年の8月、同級生が死んだ。
関西医大の同級生で研修医だった森大仁君だ。
彼の死で、僕は研修医制度の改革の荒波に。
あの頃学年で取った仕事場の労働状況調査で、
新医師臨床研修制度が6年後に出来上がった。
森君が死んだ年が医者になって働きだした3カ月目のこと。
胸部心臓血管外科教室の先輩の多くは僕らを腫れ物扱いした。
医師の労働条件の調査をされる対象だったからやむを得ない。
医療界においてそんな腫れ物の状況だったのにもかかわらず、
僕に、本気で叱咤激励のご指導を頂いた方が、今日の2人の先輩だ。
今日もまた、しっかりと叱咤激励いただけると思う。楽しみだ。
あの日、青空を見上げることさえできなかったが、
今のこの『青空』をあの時の僕に教えてやりたい。
きっと、大丈夫だって。
良かったら聴いてください。
毎日読んでいただき感謝申し上げます。
良かったら、2つ共に、一日一回、
クリック!!!よろしくお願いします。
たなかホームケアクリニックYOUTUBEチャンネル登録よろしくお願いします。