昨日の三田市のお坊さんとの勉強会でのご質問に、
旅立つ方はその時を知るのでしょうか?とあった。
禅宗の僧侶は、その時を悟った時、
袈裟を着て髭を剃り頭を綺麗に丸め、
数珠を手に床に就き、時を待つそうだ。

今朝旅立たれた独居の70代の男性。
早朝三時に近くに住む姉に電話をされ、
「シャワーに入れて欲しい」と。
さすがにその時が迫っていたので、
お姉さまはお身体を拭いてあげたそうだ。
最期の下着に用意してたシャツは丸首で、
胸が閉まって息苦しいからと、ハサミで、
自分で切り込みを入れ、胸を開けられていた。
旅支度の手伝いを姉に頼まれた彼は、
陽が昇り、朝が来て、お姉さまが、
顔を洗いに外の洗面所に行った隙に、
そっと静かに息を引き取っておられた。

最後の時間に、ご友人や別れた奥さんや娘さんに、
逢うことが出来たんですね、良かったですねと、
お姉さまに伝えると、もう一つ教えてくれた。
弟の息子ね、○○君ね、弟の事が好きでね、よく連絡を取り合ってたみたいだけどね、
先週ね、元奥さんや娘さん来た時はね、一緒にはこれなくてね、○○君仕事があって。
さっき、内緒で弟のメール見たらね、「僕が来るまで死なんとってや、アボジ(父親)」
って、書いてあって、その後、二人っきりで逢えてたみたい。あの日嬉しそうだったもの。
弟、女の私には何にも話さないから、、、、息子の事とても大切だったみたいよ、、、、
彼は、その時を悟り、その時をご自身で選ばれた。
まっすぐに生きた彼の『死』は、彼のものだった。
僕らには話してくれなかったけれど、
息子がいる僕の勝手な想像だけれど、
彼は息子がホントの友だった気がする。

医療は、決して思いあがってはいけない。
医療は、死を支配なんてできるはずもない。
人生は、生に始まり、死に終わる。
全てが彼自身のものだと教わった。
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