昔々、研修医の頃、大学病院の当直した日のこと。
乳がん患者さん終末期。40前の患者さんだった。
ご家族は小学生のお子さん2人と40前のご主人。
胸水貯留は1週間前のレントゲン写真でも明らかで、
外来診察した助教授はピンクリボンの創設者の一人。
彼女は、僕が当直していた深夜、救急搬送されてきた。
ゼーゼーと胸を搔きむしるぐらい苦しんでおられた、、
いよいよが近いことは誰の目にも分かった。が、外来では、
そんな事は一切説明されず急変のその日を迎えておられた。
当直をしていた僕は、何度も助教授のポケベルを鳴らした。
一晩中鳴らし続けたが、一度もリコールは無かった。そして、、
彼女は朝旅立たれた。その朝の手術室に居た助教授に伝えた。
たった一言、「あ、そうか。」だった。
そして、半年後、彼女のご家族は裁判を起こされた。
最後の一週間に、やっておくことはなかったのか、と。
助教授は僕に裁判の資料を作るように命じた。
この僕に全ての責任を押し付けようとした。
僕には出来ませんと丁重にお断りをしたその日の夕方、
僕の所属していた教室の助教授から電話があった。
田中君、乳腺外科の助教授の依頼を断ったそうだね。
君は外科医の世界では生きていけないよ。いいんだね?と。
あの日、外科医の世界で生きることを止める決意をした。
そして、医療者の方を向いて仕事は、絶対にしないと決めた。
これからは、どんなことがあっても、患者さんの方だけみる。と。
今日、四月から研修医を始める若い医学生6年生が見学に来てくれた。
彼女に一つだけ伝えた。どんなことがあっても患者さんを診て欲しい。と。
どうかどうか、いついかなる時も、
本気を掴み 本気を届けて欲しい。
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