『いのちの文化』『死の文化』

オヤジとオカンと再び人生会議をしてみた。

全く折り合わなかった。

 

 

これから年取って、体が動かんくなってきたらどないするん??

オヤジ「まだまだ働くから、10年は大丈夫やな、心配ない」

オカン「わたしは100歳まで生きるから、老後貯蓄2000万円って話を政治家がしてたから、その倍は要るな」

どう生活するかは、お金で解決できると思っている様子。

 

延命治療とかどう思ってるねん??

オヤジ「おれは、高級老人ホームで、身の回りのこと全部やってもらうから延命治療は関係ない!」

オカン「介護保険とか、絶対イヤやからな。施設には入らへんけど、延命治療はその時がきてから考えるし」

延命治療そのものの話がすすまない・・・・・

 

じゃあ、どう逝きたいねん???

オヤジ「また、その話か、オレはまだまだ死なへんよ」

オカン「100歳までお金数えて暮らそうかな。お金握りしめながら、棺桶入るつもりやから、ほっといて」

彼らは、死ぬことは考えたくないようだ。

 

 

そもそも、この二人に、どんな死生観があるのだろうか。。。。

 

オヤジは、鳥取県倉吉の出身。

オヤジ側のおじいちゃんの最期は老人病院で、

90歳頃肺炎で亡くなった、鼻からチューブ、手にはミトン(拘束)。

おばあちゃんは胃癌で、70歳頃、開腹したときには切除手術不可能で、

あっという間に病院で亡くなった。

オヤジの妹家族が同居していたので、

オヤジは祖父母の闘病生活をほとんど知らない、はず。

 

 

オカンは、兵庫県宝塚の出身。

オカン側のおじいちゃんは、ザイタクで看取ったおばあちゃんの闘病生活を横目に、

80歳後半で、透析(延命治療)を受け始めた。

最期は、消化管出血で、その日のうちに天国へ。

最期の透析を回しながら、逝ったのを思い出す。

おばあちゃんは、タナカの話によく出てくる肺がん末期。在宅看取り。

でも、タナカだけが泊まり込み介護をしたので、

どこまで、オカンがおばあちゃんの最期を見たのかは、今になってはよくわからない。

 

 

人生会議を行う上で、

死に逝く人をみたことがあるかないか、

死生観があるかないか、

は、とっても重要だと思う。

 

『お家』の中に『いのちの文化』・『死の文化』があることは本当に素晴らしいことだ。

 

オヤジやオカンの人生会議、それでも、根気強く続けたい。

 

 

 

 

 

 

 

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