リハビリ病院の訓練3ヶ月目。
この頃になると、日常生活動作も入院の癖が出てくる。
つまり、病室環境に慣れてきてしまう。
そして、訓練に好き嫌いが生じてくる。
たいてい嫌いな訓練が、自宅復帰したときに必要となる訓練なのだが。
しんどいことはやろうとしなくなる。
いくら説明しても練習してくれない。
しかしながら、これはもう限界。
自宅復帰後に、困る場面に直面してもらい、気付いてもらうしかない。
つまり、行き当たりばったり、とした。
正直なところ、タナカ自身が音を上げ始めていたのも事実。
三田→大阪→リハビリ病院→看取り→リハビリ病院→三田みたいな繰り返しは限界に。
母の身体機能の改善は十分に図れ、
骨折前以上の歩行能力にもなってきていたので、
これ以上の入院を引っ張る必要はなく、
別宅の大掃除ダスキン完了・家具電化製品購入・搬入後、
退院ということにしてもらい、
ちょうど、90日間のリハビリ入院で、
無事?別宅復帰となった。
院内の訓練では、絶対的に不足するのは、持久力。
これは、もう思い切って退院するのが一番だ。
持久力は、在宅生活において改善が見込まれる。
自分自身で行う動作が増えるためだ。
あとは、
リハビリ入院で機能改善した歩行をどんどん行って、あちこちに出かけ、
覚えた日常生活動作を、お家で実践するのみ。
在宅生活再開にあたり介護保険導入を勧められ続けたが、
ここの山は越えられないまま退院となる。
「ぜっったいに、使いません、介護保険は!施設に入れられてしまうわ」
ここの理解は、結局変えられないままだった。
実際のところ、
超・早期の素晴らしい骨折手術、
素晴らしいリハビリ訓練、
良いタイミングでの確定診断、内服治療開始、
そして、
なにより素晴らしい息子、
これらが功を奏し、本人にとっては、めでたく在宅復帰となる。
一方、このときには、
身体的依存より、精神的依存のほうが大変であると、
タナカには、やっと、、、なんとなく、、、、わかり始めていた、、、、、
精神的依存による『介護離職』の芽が徐々に出始めていたのだった。
しかし、どうすることもできないまま、
大阪と三田との二重生活継続が決定的になっていった。
つづく。
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