今日は少しの空き時間に、
僕の大好きな美容院に行ってヘッドスパをしてきた。
ヘッドスパの時間、母の介護の頃を思い出していた。
母の精神状態が不安定になり、毎日の僕への電話が増えた。
その母の電話対応でその時期の僕の在宅診療は本当に酷いものだった。
その後、それはパーキンソン病とレビー小体型認知症のためと判明し
神経内科医の確定診断を受けた。内服等も決まり始めることができた。
その直前に父の歯科診療所のスタッフルームの入り口で突進歩行が出現し転倒。
大腿骨頸部骨折を受傷。手術とその後のリハビリ入院4ヶ月の後、
介護保険を嫌う母のために、僕は一人老健を考えた。
一軒家持ち家をクリーニングし老人保健施設機能を一人で展開した。
そもそも老健は自宅での生活に戻るための中間施設。
母のためだけの中間施設を僕なりに用意し挑戦した。
その一人老健の取り組みの中、社会参加の一環として、
母の行きつけの美容院でのヘッドスパを思いついた。
サイコロジカルヴィクトリーの第一歩は、
やっぱり気持ちよく美しくなること。
僕が一人老健で介助で入れてたお風呂もいいけど、
その美容院まで行き、美しい美容師さんのヘッドスパ中、話を聞いてもらう。
母が話したいことを他人に聴いてもらう時間も本当に大切で。
一人老健は、本当に素晴らしい挑戦だった。
この挑戦で、母は無事、自宅での生活に復帰できた。
介護に無関心の父と両親の生活変容に無関心の東北に住む弟に、
母はパーキンソン病であることを決して知らせることなく、
その病気を否定し続け、抗い続け、さらには、
母の医療の象徴であり、自慢の大好きな長男の僕を遠ざけ続け、
パーキンソン病でないことを証明しようとしていた。
そして、
介護保険というものを拒否し続け、
誰の介護も受けることなく、
ひっそりと誰に看取られることもなく、
パーキンソン病の薬の投与さえも誰にされることなく、
身体が固まったまま、、、、
大好きな息子に逢えることもなく、、、、
この世を去った。
もしも僕のあの挑戦がなかったなら、
母は生きていたかも知れない。
もしも僕のあの挑戦がなかったなら、
介護に無関心の父が、母の介護に関心を持っていたかも知れない。
もしも僕のあの挑戦がなかったなら、
両親の暮らしに興味のない弟がお金ではなく両親の暮らしを守ったかも知れない。
もしも僕のあの挑戦がなかったなら、
こんなにも、、こんなにも、、
家族がバラバラになってしまうことはなかったのかな、、、、
それでも僕に挑戦がなかったら、僕らしくないよ。
未来は変えられなくても過去を笑い話には変えられる。
その為に、それでもやっぱり、僕は挑戦しようと思う。
今日のヘッドスパも、やっぱり気持ちよかった。やっと元気が出てきた。
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